NPO法人ACE 代表 岩附由香

コロナウィルスの感染拡大で生活は一変し、市場経済の前提は覆った。この大きな生活の変化はエシカルを促進するか、しないかを考えてみたい。

浮き彫りになった課題―人権・労働・貧困・子どもと児童労働

国連人権高等弁務官事務所(OHCR)は主に難民や移住者への影響を憂慮しその4月4日のプレスリリースで「恐怖心や不寛容さによって、人々の権利が損なわれたり、世界的なパンデミックへの効果的な対応が疎かになることがあってはならない」とIOM/UNHCR/WHOとの共同プレスリリースで述べている。しかし実際にはそこかしこで人権侵害が起きている。
私はこのコロナ禍をインドで迎え、ロックダウンを経験したが、夜20時の記者会見から4時間後にまったこの全国の外出禁止状態に人々が素直に従ったのはモディ首相への尊敬からだけではなく、警察の取り締まりへの恐怖であった。ニュースで流れる警察がしなる棒でバイクに乗っている人を叩く映像に「人権侵害だ」と憤りを覚えた。都市に出稼ぎにていた移住者は100キロ以上歩いて故郷に帰った人もいるが、浴びさせられるのは消毒液と「ウィルスを持ち込むな」という差別と偏見、そして暴力。都市でも医療従事者やフライトアテンダントに対しても「ここを出ていけ!」など脅しをかけられたという声もニュースで紹介されていた。

労働者としても程度と領域の差はあれこの大きな変化の下でそれぞれに影響を受けている。ILO(国際労働機関)は今年の前半だけで3億500万の職が失われると警鐘をならし、とくに世界の労働者の10人に6人といわれるインフォーマルセクターで働く人がセイフティネットの穴から抜け落ちる危険性を指摘している。

貧困が1990年以降はじめて増加に転じ、これまで10年間の進展が無駄になる」と指摘しているのは国連大学世界開発経済研究所の報告書だ。世界の貧困層が4億人から6億人増大すると予想し、これをコロナの後にくる「貧困の津波」と表現している。

子どもたちが直面する課題も複雑かつ深刻だ。4月14日にアントニオ・グテーレス国連事務総長は「新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が子どもたちに及ぼしている影響に関する国連の報告書」を発表、感染症パンデミックで子どもたちの教育、食糧、安全、健康に重大な影響が生じていると指摘。
ユネスコのウェブサイトによれば5月8日時点で12億人の学習者が影響をけ、それは就学者の72.4%に当たり、177カ国で全国的に教育機関が閉鎖されている。実際に途上国で支援活動を行っている団体からは、学校が休校になってオンライン学習に切り替わる地域もあるが、インターネット接続が家にない、接続デバイスがない、インターネットに接続する通信料が払えないなど、教育の格差が出ているだけでなく、もし学校が再開しても、学校に戻らず働く子どもが増えるのではないかという共通した懸念事項があった。
なぜなら日雇い労働者の家庭の収入状況がひどく悪く、食糧さえも困っている状況であるから、と。国連の報告書も極度の貧困の子どもの人口が4200万~6600万人増えると指摘している。性的搾取等暴力の増加も懸念事項である。ロックダウンの影響を受け子どもへの性的搾取が「デリバリー」「ドライブスルー」等、形を変えて行われている他、子どもの性的虐待の違法画像が掲載されているウェブサイトへのアクセス急増、またオンラインストリーミングの利用などが製造、アクセスを容易にさせていることをOHCRは指摘し、低所得の脆弱な家庭への支援の必要性を訴えている。日本でも、公園の遊具が封鎖されたり、子どもたちの遊ぶ声等がうるさいとのクレームや殺傷事件まで起きているが、子どもの遊ぶ権利もかなり大きな影響を受けており、子どもの権利・ウェルビーイングは全体的に大きな影響を受けていると言わざるをえない。

ウィルスは誰でもかかる可能性があるが、感染拡大による影響の受け方は、人それぞれ違う。もともとあった課題や格差に応じて影響がより色濃く出ているのではないか。

誰もどうなるかわからない中で、問われていること

コロナウィルスはエシカルを推進するかどうか、という問いがこの文章のタイトルだが、促進される地域や領域もあれば、されない地域や領域もあるのではないかと思う。それを分けるものは何かと考えてみると

  • 「本来あるべき姿」「ありたい姿」に気づけるか
  • 「変わる」ことへの恐れを手放し、クリエイティブに考えられるか
  • エシカルなリーダーシップ

の3点ではないかと思う。

コロナウィルスの影響で3月25日から全国ロックダウンしたインドでは4月、大気汚染が緩和され、200キロ離れたヒマラヤの山並みを拝むことが出来たとニュースになった。この事象は「本来あるべき姿」を思い出させるわけだ。毎日経済優先で過ごしている中、いかに空気が汚染されていたか、そして本来誰でもいい空気を吸いたいはずだが、それが犠牲にされていることを。

これは人間関係にもいえる。移動制限により在宅勤務またはステイ・ホームせざるをえなくなった世界中の人々は、改めて家族と一緒に過ごす時間が増え、どれだけ仕事に忙殺されていたかを実感したり、その大切さ(あるいはうっとうしさ)が身に染みたのではないかと思う。ある意味、「人間らしい生活」取り戻した人もいるかもしれない。本当はどうしたかったのか、何が理想なのかという問いは、個人、家族、企業、自治体、国のレベルでも起きているのではないかと思う。

それに気づいたときに、そしてコロナの影響を受けている今どう変化できるか、そして収束していったときに、元に戻ってしまうのか、新しい方向に進むのかについては、変化への耐久性というか、変わることの恐れを乗り越えられるかにかかっているように思う。休業状態の飲食店の従業員を、需要が高まっているデリバリーの配達員として一時的に借りる「緊急雇用シェア」マッチングが日本でも行われた。「休業している人が、いま忙しいところで働けたらいいのに」とはでも考え着くアイディアだと思うが、それを実際に稼働可能な仕組みに落として動かすにはクリエイティビティとリーダーシップが必要だ。

そう、変わるにはエシカルなリーダーシップが必要なのだ。これはいわゆるリーダーだけでなく、個人から国まであらゆるレベルでだ。今回生活者としては生活必需品を買い溜めするかどうか、雇用主としては雇い止めするか休業補償か、在宅勤務か出勤前提か、レストランなどのビジネスオーナーとしては休業かテイクアウトのみか通常営業か、等、この影響下で様々な判断を迫られた。経済的な痛み、社員やお客様の命と安全の保護、様々なリスク、いろいろなものを自分の倫理観と共に天秤にかけて様々な判断が下された。そのひとつひとつの判断が、経済・環境・社会のどれをもないがしろにしないで、人と地球にやさしいものにするのは、ものすごく難しい。それでもどうするか決めなくてはならない。

その決断をうまく出来る人はエシカルなリーダーだと思う。メルケル首相を中心に欧州ではグリーンリカバリー(コロナウィルスの影響による経済的ダメージから立ち上がるための投資を含め、経済対策気候変動に対する対策を重視する)の動きが活発だ。あまり報道されていないように思うが、そういう動きをものすごくうらやましく感じるのは私だけだろうか。
そしてSDGsの精神である「誰一人取り残さない no one left behind」をどれだけ社会として担保できるのかについても、リーダーシップが必要だ。児童労働等に取り組む国際的アライアンスの議長は「いまこそ国・立場を超えAlliance8.7に関わる組織が協力し、影響をモニターし、イノベーティブな解決策をスケールアップすべき」と感染が深刻なフランスからビデオメッセージを発信している。影響をモニターし、政策を見直し、決意を新たにするとき。これは脅威であるが強いコレクティブなアクションを起こす機会にもなる、と。

ウィルスは人を差別しないが、その感染予防策によって受ける影響は千差万別だ。そして社会経済的に基盤の弱い立場の人たちが最もその影響を受ける。その精神的ストレスはのはけ口はより立場の弱い、しばしば女性や子どもに及び犠牲が出る。そういう現社会の社会システム構造をどれだけ理解した公共政策をとれるのか、私たちは日々都道府県や国のリーダーの言動を見て一喜一憂している。政策だけではない、どんなメッセージをリーダーが自分の言葉や態度で発信しているかを感じて、がっかりしたり憤ったり(どちらかというと称賛よりはそちらの方が多いような)しているのだ。そこで問いは1つ目に戻る。「本来あるべきリーダーの姿とは?」と。

本原稿が、字数も締め切りも大幅に過ぎてしまった上にまとまりがないのは、コロナの影響ではなく、私の力不足である。そしてこのコロナの影響を受けた日本社会がエシカルな方向に向かっていってくれることを願ってやまないし、そのために微力ながら働きたく、この原稿を完成させるのはその一歩であると言い訳をして終わりたい。

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